親父の死2006年01月21日 23:55

“親父”は92歳であった。

引っ越しの荷物がほぼ片づきかけた1月14日の朝、親父を見舞いに行っていた妻から電話が入った。
「夕べ亡くなった。」

病院で療養中とは言え、突然の知らせであった。

私自身の親はとっくに他界し、妻の母親も亡くなって既に9年半が経ち、義父は我々夫婦にとってはたった一人の親であった。

戦後自ら起業し、獅子奮迅の努力と、忍耐と、工夫で一企業を作り上げた私の義父は、実父とは違う意味で私を元気づけた人であった。

このところずっと郷里近くの病院で過ごす親父を、上海から見舞いに行くこともほとんど出来ないのも寂しかったが、亡くなってみると、心にずしんと大きな寂しさがこみ上げる。

急遽郷里に飛び、棺に眠る親父に別れを告げてきた。

『親父よ、ありがとう。安らかに眠ってください。』

日本のお正月2006年01月19日 01:59

日本でのお正月は、ゆったりと、楽しく過ごすことが出来た。

元日には、娘夫婦、息子夫婦そして孫が揃い、家族全員で地域の神社へ初詣。
こうして、家族全員に健康と幸せと、そして新しい家族をもたらしてくれた神々に感謝。

娘夫婦からはケーキのプレゼント、息子夫婦からは日本酒のプレゼント、そして、妻の腕をふるったおせち料理。
何もしていないのは私だけだったから、トランプ遊びの賞金を提供して楽しんでもらった。

時折笑顔を見せる孫をあやしたりして、幸せを絵に描いたような我が家は良い。

おせち料理のほか、美味しかったのは、毎朝の雑煮と、日本海の時化がおさまってすぐに北陸の弟が送ってくれた越前蟹。
何と言っても、子供の頃から私の大好物の越前蟹は、何よりも私を満足させてくれるご馳走だ。上海蟹も越前蟹にはかなわない。

上海へ戻る前日にテニス。久し振りのテニスだから、足腰や右腕の筋肉痛を伴ったが、長年のテニス仲間と大いに楽しんだあと、ゆったりとお風呂につかって身も心もリフレッシュした。

日本での素晴らしいお正月だった。

古い街、烏鎮2005年12月16日 00:13

烏鎭の風景

杭州は2日目の昼食までとし、車で杭州と上海の中間点にある烏鎭を訪ねた。

烏鎭は明代を偲ばせる古い民家の間を運河が流れる水郷である。

蘇州に近い周荘、上海の朱家角など水郷の街も多いけれど、烏鎭が一番風情があるという職場の仲間の意見もあり、是非行きたいところであった(周荘、朱家角は時間がなく行けなかった)。

ここは古いだけあって、決して綺麗ではないが、生活の匂いもあるし、趣もあって、魅力のある観光地だ。

薬膳料理の店のあった杭州の大井巷といい、この烏鎭といい、上海では味わえない中国のイメージにマッチした観光地だと思う。

なお、烏鎭も観光客を呼び込む努力を始めたのは比較的最近だと聞く。

私はここの運河沿いの店で、地元工芸家の墨絵と刺繍の小さな額を買った。


今回、蘇州、杭州、烏鎮と、上海近辺の代表的な観光スポットを訪れた。
娘も満足してくれたかな、と思う。

次の機会があれば、杭州はもっとゆっくり滞在するのが良さそうな気がする。
私もまだ、美しいと言われる夕刻の西湖、明け方の西湖を見ていない。